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徒然ラボ

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ギターが弾けたら詩とか書いてなかった

こんばんは、幸田アダです。

ギター弾けないのにアコギとエレキの二本を部屋に飾ってる幸田アダです。

趣味で詩を書いているという話をしましたが、そもそもギターとか弾けたら詩とか書いてなかったなーと思います。

ギター弾いてる人に限らず、楽器弾いてる人って絶対気持ちいいですよね。

アコギ抱えて河原で歌ってる星野源を見てると本当にそう思います。

星野源はシンガーソングライターだけど、彼の曲をそっくりに弾いてみせる僕の友達だって気持ちいいはず、

きっとその気持ちよさって僕が詩を書くことで得ているものにすごく近くて、自分の中で澱みそうになってる感情やイメージを知覚される形にして吐き出すこと、そしてそれが時に他者に触れることの喜びがそこにはあるはずです。

まして音楽なんてものは、それのことを深く考え倒した結果出てくる極上のアウトプット、作品なわけで、何かしらの感情やらイメージが高い解像度で表現されているわけです。しかも元々形も意味もないような胸の中の不定形なんだから、形のない音でそれを自在に表現できたら言葉よりもうまくいきそう。

辛い気分で胸がいっぱいの時、ギターを弾ける人はきっとその気持ちを代弁してくれそうな音楽を弾けば、うまく吐き出せるんじゃないかなって思います。去年10月あたりの僕に、非国民的ヒーローを上手に演奏できていたらどんなに良かったことか。

そんな風に吐き出せる、感情のはけ口、発散の方法を持っていれば、黒歴史みたいな詩なんて書いてなかったんじゃないかな。不完全燃焼の暗い詩でスマホのメモ帳をいっぱいにすること経験なんてしなかったんじゃないかなって思いました。

でもよくよく考えたらどんな音楽も自分の気持ちそのままな訳はなくて、むしろ作った人のそれすら完璧には再現できているはずもなくて。それは詩を書く自分もよく知っている当たり前のこと。

どんなに鈍感な人がいても、その完璧じゃなさに気づかないままでいれるほどには鈍感にはなれないから、きっとギターをひける人だってそうに違いない。この曲は自分のことを歌っている!なんて確信はまるで確かではありえないまま消えていく。次、そのまた次でずっとごまかし通せるはずもない。

演奏後、束の間だけ忘れることができても、僕と同じように、自分の中のいろいろを吐き出したい、あの乾きが僕のと同じだけやってくる。

 

 最後は、例の気持ちよさそうなギター男、星野源で「フィルム」。