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徒然ラボ

くだらないことがおもしろい 好きなんだからしかたない

詩を人に見せる

雑記

 こんばんは、幸田アダです。

身の回りの人にはペンネームを隠し気味な幸田アダです。

今回は「書くこと」についての雑記。

詩、ブログ、ツイッター、時々レポート。

そもそも僕が文章を書くときというのはかなり決定的に心にビビッとくるものの形を捉えて、それを伝えたり、人に見せる形にしたいと思った時が多いです。

例えばブログなら、読者に是非とも知ってもらいたい何かの紹介であったり、好きなものの魅力が伝わるように記事を書いたりします。

詩であればポエッティーな気分で散歩して、はっとした瞬間に足を止めてスマホのメモ帳を開き、その「はっ」の部分をできるだけ新鮮なまま言葉にします。詩をしっかり作る期間であればだいたい1日に5篇くらい。何もなかった日には詩はできません。

つまり劇的な何かがない限りそもそも書くことさえしないまま。書くことへのハードルが高いです。

しかしながら、僕は書くこと、見られることがどうやら好きなようなので、もっと気軽に書きたい、見せたい。見られることは意識したままで、特別とは違う「書くこと」がしたい。

書くことありきで書くのではなくて、書いているうちに劇的なものが、輝くものが見えてくる。そういった文章を書きたい。

ツイッターでは結構なんとなーく思ったことをつぶやいたりしていますが、140字ぽっちの文章では思考は展開していきません。それに何と言ってもあの呟きがすごい量の他の呟きの中で流されていく感覚が苦手です。自分の過去のツイートでさえ探せないものもあるくらいです。

もっと自由に、ある程度の量の文章が書きたい。

ということで、この雑記です。雑記らしい雑記が書けるとブログももっと楽しくなるはずです。日記は最長2カ月しか継続したことがないので無理に毎日は書きませんが、日記的に、なんてことないままでも続いていく日常から何か響くものを書き残していくような文章が残したいなーと最近思っていたので、早速やってみます。

 

1月20日 「友達の友達に詩を見せる。」

僕は趣味で詩を作っていて、去年の10月くらいから本格的に詩作を続けて、現在100篇ほどできています。

今日はそんな作品たちを詩集にまとめるために、デザインと製本に強い友達と、実際の本作りに向けた紙を買いに行ってきました。

さらっと友達と詩集を作っていると書いたものの結構これってそこに至るまでの精神的なハードルが高いものです。

詩を作っている時点で珍しいのはなんとなくわかるし、趣味が詩作だと人に言うと不思議な顔をされるのはいつものことです。空気感としてはポエムというとどこか恥ずかしいもので、「あの人は詩人だから」という言葉はしばしば嘲笑として使われます。

多分、普通の人が書いてる詩は普通は普通に黒歴史中二病の産物す。

そんなものって日頃から接している人に見せたりすんの恥ずかしくありませんか?

今は恥ずかしいとされていることでも、運動と一緒で、芸術的な表現は生活に欠かせないものだから、淡々と人前でやってやろうというのがモチベーションなので、僕はネットでは創作物を公開することはありますが、それは幸田アダという仮面を介してするからできることです。素顔のままで、友達相手に見せるというのは逃げ場がない気がして避けていました。

とはいえ、表現欲を隠れてこそこそ発散させるというのは案外気持ちの良いことではなく、生活の中でこそハッとした瞬間、作品が生まれたりするのに、一旦ネットの世界に行かなくてはいけないのは面倒です。生活を面白くするには、その中で関わっていく人たちの中で表現を楽しむ雰囲気を作るのが素直なやり方だなと思い至りました。

普段は友達が少ないことを憂いていた僕ですが、友達が少ないが故に、この人になら作品を見せてみたいと思える友人に恵まれていました。

そこからは割とスムーズ。ドキドキで作品を見せてみると仲良くしている友人たちは結構面白がってくれました。詩集を作ると言ったら手伝ってくれる友人もいれば、できたら読ませて欲しいと言ってくれる友人もいて。

誰も見ていなくても、誰かがきっといるところで、例えばツイッターやブログで黙々と続けようとは思っていました。詩であれ、立体作品であれ。

しかし、いざ生身の人間に面白いねと言われると、ふつふつと感情がこみ上げてくるのも揺るぎない事実で、楽しいったらありゃしない。表現することそのものでは得られない楽しさ。

承認欲求が満たされる喜びなのか、こそこそとやっていた表現への後ろめたさの枷が外れる快感なのか。この楽しさが一体なんなのかはわかりませんが、なんにせよ、一回だけでも面白いと思ってもらう経験をしてしまえばもう何も怖くない。

存分にやってやろう、そんな気分が沸いてきました。下手くそでも自由に気持ちよさそうにやっていればそれだけでも十分、僕の狙い通りです。

そんな経緯でやってきたのが今日でした。

詩集を一緒に作っている友達の友達。僕にとってはあまり関わりのない広義のお友達。

そんな人の目に僕の詩が触れました。僕、そして幸田アダのペンネームとともに。

面白いと言ってもらえたらしいこともすごく嬉しいことでしたが、それよりも素直に喜べたこと、恥ずかしさが先行しなかったことが嬉しかった。人の目を機にすることは大事なことで何事も節度が必要ですが、見られることへの余分な恐怖心が、恥じらいがあることも確かで、それが自分の中で少しずつ減ってきている実感が心地よかったです。

ありのままとか、自分らしさとか、そんなことが騒がれている時代な気がしますが、アイデンティティとは何かみたいな大局的な思考をする前に、とりあえず気になることを、実際の生活の中で、下手とか上手の尺度は無視してやってみる。その実践が一番素直な方法です。それが今日わかりました。そこのハードルが結構高いこともわかっています。そのハードルを下げるようなことをしてみたいななんて思ったのが今日一番の感情で、僕は僕の野望を再確認しました。

僕は詩を作ることや立体作品を作るのが好きですが、多分、自分の周りにいる人の表現、作品がどんなものなのか、何が好きなのかって知らなくないですか?

それが自然とわかるようになれば、身の回りにいろんな彩りが生まれて楽しそうだなと思います。だから僕は明日も詩集作りに勤しみます。僕の半径15メートルを今よりちょっとでも楽しくしたいゲリラ活動。

 

 文章だけも面白くないので、合わせてどうぞ。サカナクションで「ユリイカ