徒然ラボ

幸田アダのブログです

遊びくらいは自分で作る

こんばんは、幸田アダです。

今日はひたすら空き屋を掃除して、ペンキを塗りたくってました。

アトリエという名の遊び場づくりの一環です。

ゴミ屋敷をアトリエにするまでの道のりはなかなかに壮絶なもので、かれこれ半年くらいかけてやってきましたが、その話はまたいつか。

今日は遊ぶことについて書きたい気分です。

「遊ぶ」って、子どもの頃は校庭でサッカーしたり、意味もなく走り回ることだったりしたのに、年を取るにつれて例えば高校生くらいだとゲームセンターに行くこと、大学だとカラオケ、映画といった娯楽のお店に行くことになっていきますよね。

すごく懐古的な、子供時代こそ至高みたいな物言いになりそうだけど、僕も大人になっていろんなお膳立てされた娯楽を経験していくにつれて思うのは、やっぱり校庭で走り回ってた頃の、公園の茂みに隠れてた頃の遊びが本物だったんだなってことです。

ボーリングもカラオケも、おしゃれなお店にご飯を食べに行くことも、ドキドキしながら映画に行くことも、ビジネスとして成り立っているだけあって、もちろん楽しいことには楽しいのですが、なんだか遊ぶために遊んでいる感じというか、目的と手段が反転してしまっているような変な感じがするんです。

遊びにまつわる選択肢の中から選ぶ感覚。

遊ぶという言葉と内容が客観的に無理なく結びつかないといけないような一種の強迫観念。

原因は多分、遊ぶことに頭を使っていないってことが気持ち悪いってことです。

きっと働くときや学生としての本分を務めているときは自分の能力を他人のニーズや社会の動きに合わせて発揮していかなきゃいけないので、頭を使っちゃいけない部分、つまりいろんな前提や規制があるに違いなんですけど、遊びは100%自分のためのもの。

全体にわたって自分で作り上げることができるもので、それにこそ自分の中で湧き上がる衝動や欲求を高い解像度でぶつかっていけるはずです。歌いたいとか、体を動かしたいとか、訳もなく踊ってみたくなるような衝動は誰しも持っているもので、それらを発散すべく、遊ぶために何かを一旦脇に置いて、働いたりしているはずなのに、いざ遊ぶとなったら誰かにお膳立てされたアミューズメントでお茶を濁す。

歌いたいという衝動が必ずしもカラオケ店に収まるわけなくて、もっと広いところで、例えば広い空の見える山で歌いたい欲求だってある。少なくとも僕には。

体を動かすことがすべてスポーツに結びつくはずもなく、それが実は物体と自分の体の間にある距離感、ダイナミクスを知覚したい、視覚化したいという欲求に根ざすもので、つまり粘土をこねたいとか絵を描いてみたい気分なのかもしれない。

そんな遊びへの気持ちを、疲れにかこつけて適当に選んだあり合わせのものでごまかしていたら、欲求不満になるのも仕方ない。

僕はずっと何か面白いことないかなーと思ってはネットで楽しそうなことを探していましたが、この時点で遊びを選択肢の中から選ばなくてはいけない!的なよくわからない当たり前にとらわれていました。

みなさんご存知のタモリさんは遊びに際して「仕事じゃねえんだ、真面目にやれ!」と、喝を入れたといいます。

つくづく遊びに対して不真面目だったなーとおもいます。

「遊び」は「仕事から離れている状態」くらいにしか考えていなかったから、カラオケボックスに居る間は忘れられるからそれでいいやくらいに思っていました。

もっと自分が何をしてみたいかを真面目に考えて、そのための手段を練って、実行する。入念にそして存分に遊びを実行するべきだった。

表現することは人が生きていくのに必要な事、だから自分はそれをやる。をモットーに生きているつもりでしたが、遊ぶ事それ自体がすでに自己表現である事を見逃していたな。というのが今日いちばんの気づき。

子どもの頃が楽しかったのはきっと、懐古趣味的な幻想なんかではなくて自分の求める世界を遊びを通して実現していたからだと思うのです。校庭に踵を引きずって線を引けば野球だってサッカーだって、テニスだって自由にやってのけた。きったない茂みの中が誰も知らない秘密基地になっただけで、この世の中には少なくとも一つ自分の場所があったし、公園の石の座り心地が妙に良かったりして、友達と意味もなく時間を過ごすだけで楽しかった。

大人がこんなことをやったら変、かもしれませんが、大人の頭と体を使えば人様に迷惑をかけない程度には子供みたいに遊ぶことはできるはずです。い今を生きる僕たちには様々な心理的障壁=恥が付きまといますが、それに負けているだけでは面白くない。僕が思うにそのための具体的な方法は二つ。

一つは集団でやること、一つは何をやってもいい場所を作ること。

みんなでやれば怖くない。というのが前者の発想ですが遊びが個人的なもののときには使えません。僕なんかは一人遊びが好きなのであんまり使えない。

なので後者を僕は実行しています。

自分の部屋にゆとりを作って、好きなように木を彫刻したり、絵を描いたり、詩を書いたり。ある時は音楽を流して踊ったり。大抵は大きめの机と座り心地のいい椅子、スピーカーがあれば十分です。

自分の部屋でなくとも、人に迷惑をかけない場所を見つけるとか、借りるとかでもいいです。大事なのは、自分の欲求を実現できる場所を自分で用意するということ。

これだけで、他人が用意した場所で、そこに応じたアクティビティを実行することの何十倍も頭がつかえて、何十倍も楽しいはず。やろう⇨アトリエ作り(今日に至る)

 

なんてことを今日は考えました。

なんだか当たり前のことをだらだら書いているかもしれませんが、誰かにとっては面白い文章であれば嬉しいです。

それではさようなら。