徒然ラボ

幸田アダのブログです

マストドンはインターネットのガンジス川

4/23  20:47

 

見事に人生を無駄遣いした気分の1日。無駄ではない1日があるとすればそれは怪しい気がするし、逆に意味とは何か考えたりするとこの先数時間までもが無駄になってしまうのでやめにするけれど、とにかく何もしていない1日だった。

昨日買った新しいスニーカー、KARHUARIAは今日も陽の目を見ることがなかった。

起きて歯を磨き、遅い昼食を食べたのちに夕方の散歩に出ればよかったが、インターネットに浸っていた。サーフィンするまでもなく情報以下の言葉の奔流に身を任せていた。

何が言いたいかといえば、12時間前ほどに今話題のマストドンを始めた。

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流行り物には一旦乗っかるのも悪くはないと思う。

よくわからないままでいたって結局よくわからないままで面白くない。

やってみて時間を無駄にすることは少し罪悪感を感じさせはすれど、僕は嫌いではないい。むしろちょっと好きなくらいだ。無駄に価値を見つけてそれらしい名前をつけていくのが大好きだから。

マストドンの正体を知りたい読者にとっては脱線気味かもしれないけれど、マストドンの意味わからなさ、無意味さはこの記事の比ではない。

マストドンがなんなのか、あの新進気鋭のSNSの構造、例えばインスタンスがなんなのかとかそういうことは他所様の記事にお任せすることにして、今日は僕が12時間ほどあのわけのわからないタイムラインを眺めて思ったことを書こうと思う。

初めて使う人がまず考えるのはこのSNSは一体どう使えばいいのか、なんのために使えばいいのかということだろう。例えばtumblrなんかは「インターネットの墓場」なんて言われているが、そんなふうにmastodonを言おうとすれば「インターネットのガンジス川」だと思う。つまり潔癖症な人間から言わせればろくなものではない。得体の知れないものが混じり合って無意味が浮かび上がって大きな流れができている、そんなところだ。

タイムラインの状況としては、無造作に何万人もの人をフォローしたアカウントのそれみたいなものだと思う。毎秒何ツイートかのとりとめもないツイートが流れていく。ツイッターのヘビーユーザーであればもしかしたら馴染みの深い状況なのかも知れない。

しかし、僕のようなフォローを無造作にしていくことがなんとなく億劫な人間からすれば、絶対にフォローすることも、というか目に触れることもなかったであろうアカウントのつぶやきまで一切合切が流れてくるタイムラインは新鮮そのものだ。

マストドンはログインしたその次の瞬間からローカルタイムラインもしくは連合タイムラインという、さっき書いたような実にカオスなタイムラインにアクセスできるようになっている。

mstdnではいわゆるツイートのことをトゥートという非常に打ちにくい用語で呼ぶことになっていて、そのトゥートが一秒間に何個もタイムラインを流れていく、まともに追っていけば10秒前のトゥートを見るのも困難なレベルで、すごい勢いで更新されていく。

お気に入りのアカウントをフォローしてツイッターを楽しんでいる人たちにとっていえばおそらく質はツイートをはるかに下回るものばかり。「らーめんなう」やら「膣」やら意味もないうっすい文字列が並んでゆく。時折、気合の入った言葉も流れていく。

面白いのはその全てが同じように、発信された瞬間には不特定多数の誰かに見られ、数秒後には誰の目にも触れなくなるようなところに流れて言ってしまうということで、mstdnのタイムラインではアルファツイッタラーとか有名人とかいうアカウント自体に備わる価値がまるで意味を持たない。

 全てが等価に流れていく。

もちろんホーム画面を訪れれば過去のtootも見ることができるんだけどそんなことは滅多にないし、マストドンが垂れ流しの場であることはみんな織り込み済みだと思う。

ツイッターにはフォロワーがいたりすると謎のブレーキがかかって思うように呟けないこともあるけれど、マストドンなら何を言おうがすぐに流れていくので、やりたいように書ける。

それこそ、下書き保存に引っ込めておく羽目になってしまった投稿なんかもマストドンなら綺麗さっぱり流してくれる。

とはいえ、下書き保存に残しておきたい類のものも間違いなくあってだからこそツイッターは今でも大切なままだけどね。

インターネット世界での露出癖というべき、自分の思考をさらけ出したい欲求は不特定多数の人間にただ晒されることで満たされる。ここはさながら肉体抜きのスクランブル交差点で、誰も足を止めないけれどそこには居て、あなたは何かを言うこともできるしそうしないこともできる。周りの誰かは何かを言っている。

マストドンはただただリアルタイムの大きな流れであってそれを面白く思うかどうかはその人次第でしかない。

さっき見ていたTLでは膣関連のトゥートの間にスティーブ・ジョブズを讃える言葉が混ざっいて、一番目立っていたのはラーメンの写真だった。

それこそ川の流れのように眺めるのもいいし、その流れに自分の言葉を流して見るのもいいと思う。信じられないくらい刹那的に完結していくレスポンスがそこにはあるし、僕は結構気に入っている。

facebookinstagramみたいなSNSは過去をショーケースに飾っていくみたいに綺麗にアーカイブしていくけれど、ツイッター、そして特にマストドンみたいなSNSはそんなこと深く考えず、瞬間風速に身を任せている感じがある。全体よりも一部に集中する、感覚的な短文が蓄積されていく。月並みな言い方になるけれど、実に諸行無常っぽい、日本人好みなSNSだと思うし、流行ってきている理由もよくわかる。

 

この通り、マストドンはやっぱりよくわからないもので、楽しい人には楽しいかもしれない言葉の奔流である。この記事をここまで読んだ人であれば、結構楽しめるかもしれない。ただ一つ言っておきたいのは、そこにあるもの、得られるものはきっと無意味でしかなくて、後に残るものは特に何もないと思う。僕みたいに人生を無駄遣いしたなぁと1日の終わりに思う羽目になっても知ったこっちゃないよ。