ある超歌手、大森靖子 前編
こんにちは、幸田アダです。
今回のテーマは、このブログにとって避けて通れない超歌手、大森靖子、その人です。
僕が今一番熱く好きな歌手です。
電車の中、作業中音楽を聴くときはこの人の曲で作ったプレイリストを永遠ループしてます。後述しますがメンヘラ御用達とも言われる歌手なので友達には共感をえられませんがお構いなし。
それでもいいと思わせてくれるパワーの塊。
今の空気を生々しいまま切り取った権化。
よさみが深い。
そして進化し続ける豚(大天才)。
曲、歌詞、声、そしてアーティストとしてのあり方、ぜんぶがすごいクる。
まさに超歌手。
※この記事は趣味成分20,000,000%の勢いで書いていくので、手っ取り早く大森靖子を知りたい方は見出しと貼り付けたMVだけ見とけばいいと思います。好きさ加減のまま吐き出す過去最高に泥みたいな記事になります。
煩雑になること間違いなしなので、ここからは箇条書き風に書いていきます。
・ライブがすごい
音楽好きの友達が大森靖子いいぜーって言ってるのを聞いていたちょうどその頃やってた地元の小さな音楽祭、そこで初めて生の大森靖子を聴きました。
赤い髪のおばさんが出てきて、おもむろにアカペラのこんな曲を始めたときは僕だけでなく会場全体に不安な空気が漂っていたのを覚えています。
「なんだこれ」それが最初の感想。
しかし激情派シンガーなんていわれるほどエモーショナルな弾き語りライブは、さらに観客の様子を見ながら歌う曲を決めて狙い撃ちしてくることもあって、怖いくらいの迫力があります。
むき出しで怖いけど、突き刺さる。
最初のうちはグッときつつも「怖いなー間違いなく万人受けはしないだろうなー」なんてほんとどうでもいいメタな気分がチラついたりしましたが、そのうちにそんな気分はどっかに行って、ただただグッとくるのに身を任せて揺れたり棒立ちしたりしていました。
周りを見回すと若くて可愛い女の子もいれば、大森Tシャツを着たおじさんもたくさんいて、そんな人たちが同じようにまっすぐ向いて「絶対彼女」を歌っていました。
ギターを抱えてなんか叫んでる赤髪のおばさん改め大森さん
低いおっさんたちの声で響く「ぜったい女の子ー♪」
明らかな違和感の中、みんなが好きなものをちゃんと好きな風にふるまっているその自由さというか普通さに奥の方まで痺れました。
夢みたいにほぐれていて、そして素敵だった。
ライブ終わりの惚け、興奮のまま、思わずチェキ会の列に並んでいました。
人生初チェキはアイドルじゃなくて超歌手。
この時から大森さんのファンになりました。
明日は大森靖子のライブ!昂まりすぎてなんかもうすごい。存分に大森浴びてくるぜ
— あーだこーだ言う子 (@turedure_lab) 2016年11月9日
昨日は大森靖子さんのライブ行ってきました。そりゃヘッドフォンで聞いた方が綺麗に聞こえてくるけれど、あの現場で感じたいっぱいもので大森さんの音楽がもっと好きになりました。 pic.twitter.com/HOHNdwKkqG
— あーだこーだ言う子 (@turedure_lab) 2016年11月11日
このようにライブの後はいっぱいいっぱいになって「いっぱいのもの」とか書いちゃうくらいに語彙力が下がります。
・歌詞がすごい
大森さんの歌詞のすごさを話すときにまず言いたいのは「今」っぽさ。
一発目のピンクメトセラでは冒頭から「下書き保存」「死にたみ」「クラウド化」など現代の言葉が現代の感性で使われています。大森さんはメールの下書きで作詞することもあって言葉にならない部分には絵文字使いまくってました。そのあたりも超現代。
後から出てくる曲にも玉城ティナちゃんとか、水属性、笑笑etc...いろいろ出てきます。
自ら「民俗学の生きる史料になりたい」と公言するのも頷けるほどの瞬間風速っぷりで今をみずみずしく、生々しく、そして生き生きと切り取るのが大森さんです。
君の落書きに斬新なものもひとつもなかった
それでもなんか笑える毎日 逆に新しい
この一節も響く響く。
この歌詞だけでさっきの死にたみとか忘れちゃうほど昇れます。
絶対なんてこの世にはないっていうけど、絶対って案外すぐ近くにあると安心させてくれます。喜びも悲しみも嘘じゃないって言ってもらう気分。
オススメの音楽とか漫画とか、あるいは落書きとか、そんなのまで大好きにはなれなくてもそれでもいいままで居られる幸せのすごさ。
この日常をありのままで愛おしくさせてくれる詞の感性、解像度が大森さん。
今っぽい言葉を使いますよーなどとわかりやすく特徴的な部分を言ってみましたが、やっぱり大事なのは言葉云々よりもその意味、響き。
つまり言いたいのは大森さんは、詩人。
異論は大いに認めますが、大森靖子は現代に生きる女版、寺山修司です。
と思い始めた頃に「音楽を捨てよ、そして音楽へ」なんて曲も大森さんは歌っていることを知ってなんだか嬉しくなったのを覚えています。「少女漫画少年漫画」っていう曲を聴くと特にそう思います。
詩が好きなので寺山修司も読みますが、単純に詩としての表現の仕方以上に言葉から発せられる暗い死の雰囲気、影、そして理性の匂い、つまり激情や真っ暗なことを案外真顔で書いてそうな感じ、一種の不気味さの部分で大森さんからは強い寺山スピリッツを感じます。両者ともに歪さを確信犯でやっているところが素晴らしい。
そんな寺山修司は本の中で、吟遊詩人は街から姿を消し、詩人はいつしか唖者になってしまった。と語っていますが、その論で行けば、大森さんのようなギター一本で歌うシンガーソングライターは現代の吟遊詩人とでも言えるでしょう。
詩というか詞は書くけれど、大森靖子は歌いまくります。
ノスタルジックJ-pop - 大森靖子 - 歌詞 : 歌ネット
きみが好き
返事はいらない
はわわ。ってなりました。ここだけ抜き出すのが申し訳ないほど全体にわたってのバランスがキラキラとエモーショナルな素敵曲です。
とは言え、失恋真っ只中だった頃の自分の頭の中ではこの一節がずっと響いていました。自分の好きがこの世の中にとって、例えば相手にとってどう見えているかとかどうでもよくて、きっと人様に迷惑はかけないでいるからこの気持ちだけは、結構大事で、本当だから、できるだけ人に触られないままで抱えていたいなって気分の時にこの曲を聴いていたのを覚えていて、今でも聴くと一人ぼっちな感傷に浸ります。
こんな具合に思わず、こっぱずかしい自分語りを始めちゃうほど、身近に響くのが大森さんの歌詞です。
というわけで、ライブと歌詞に焦点を合わせてここまで書いてきましたが、大森さんのすごさはこんなもんじゃありません。下書き保存でできているだけでもまだ原稿用紙5、6枚分の続きがありますが、すでに随分と長くなったので今回はこの辺で終わりにして、後編に続けようと思います。