幸せになってほしいひと
写真は東京旅行の一枚。内容とはまるで関係はありません。
自分のこともいっぱいいっぱいな私ですが、あの人には幸せになってもらいたいなぁなんて思うこともあります。
少なくとも2/12-15で行った東京旅行では覚えているだけで二人いました。
一人は築地市場のフライ屋さん「八千代」のお姉さん。
愛想よく接客してくださる黒髪ボブヘヤーの可愛いお姉さんは基本的に幸せになってほしいのですが、そんな人がうまいアジフライを持ってきてくれるんだからますます良さみが深いのです。
日本国内外から集まる観光客から地元の常連おじさんまでいろんな人たち魚市場らしく適度に活気のいいハキハキとした対応でさばきつつも、なじみの方との会話をこなし、ちょっとした隙間には厨房に立つ両親と思しき夫婦と日常についての何気ないあれこれを話すお姉さん。
なんとなく健やかな女性とはこんなひとなのかなと感じさせられました。
笑顔の多い人、元気にふるまえる人、日頃のことをなんとなく話せる人、今日はゼミのサークルなんだーとか身近な人に話して、ふーんくらいにあしらわれても全然気にしない様子の人、ありがとうございましたーを屈託無くはっきりと言える人。無理せず人に優しくできる人。幸せそうに見える人。
幸せな人は本当に幸せであってほしいし、幸せなままでいてほしい。
たまにニコニコしていてふわふわしていて、幸せに見える人が実はどうしようもなくただ微笑んでいる場合があって、それはすごく悲しい。
幸せを感じることにもなぜか才能があって、幸せの才能のある人は自分の幸せを損なわずに幸せを人に分けることができる場合が多いから、きっと幸せな人は大切なんです。
私などは幸せの才能は人並みくらいで、調子の良くないときは幸せな人にちょっと分けてもらうくらいがちょうど良いので、やはり幸せな人が大切。
おっきいアジを動物性の油でカラッと揚げた脳に響くタイプの美味しいフライでご飯をかきこみながら、何気なく聞いていた店の中のあの時間で少し幸せをもらいました。何もないことが怖くなくなったような感じと何もないことはじつはあんまりないことの気づき。普通に人と話をすることだって普通に何かなんだ。
いろんなことが頭の中でぐるぐるして人と話すことが億劫なこともあるけれど、大概は杞憂で、後ろ向きっぽいときは特にそう。案外話してみるとそれだけで空っぽさからくる不安みたいなのはなんでもない何かで埋まっていくらしく、なんとかなる。人の人生にはキャリアだの実績だのといろんな積み重ねはあるのだろうけど、そういうのとは違った積み重なりの重みというか、体のどこかにある器というかがあって、なんにせよそれはずっと蓄積されていく類のものではなくて、常に代謝されてしまうから何かを供給していかなくてはいけない。くだらないことや何かとしか言えないような些細なものだけでは人生は味気ないけど、こんなものたちを切り捨てるのは、現代っぽい劇的なものに対する中毒からくる病理的な心理だと思う。
「動的な平衡」という言葉に最近ハマっているからこんなことを考えるのかもしれない。でも、生きているという状態は常にいろんな些細なものの積み重ねでできているに違いないし、その状態ありきで人は大きなことを実行できるのだろうと思う。
「ありふれたこと」きっと90パーセントくらいでできている人の体はでできてるみたいにボロボロと崩れていくから、そのくだらなさを淡々と謳歌して次々と保っていかないとうまくはいかない。そんな風に思います。
ふたり目は東京から大阪に車で帰る途中立ち寄ったサービスエリア、多分、浜松のパン屋さんのお姉さん。
とかくお姉さんに弱い。年頃の男子だから仕方ない。
この人は、パンを買った後の去り際、「ありがとうございました。お気をつけて行ってくださいね」と丁寧に言ってくださった。ああ、幸せになってほしい。
店員さんとしては当たり前のことなのかもしれない。でも、人の行き来の激しいサービスエリアで二度と来ないかもしれない、多分来ないだろう人、まして購入を済ました人に対してそんなに丁寧に接するというのは商業的に合理的なこととはないし、普通に「ありがとうございました」でとりあえず大丈夫だと思う。
そんな一言を、あのお姉さんは普通に、気張ることなく言ってくれた。仕事終わりでそのまま帰路に着いたせいで疲れ切っていたせいかもしれないけれど、それでもいい。
二度と会うことがないだろう知らない誰かとの別れ際、一期一会のさようなら
そんな一瞬に人に優しくなれるお姉さんがとても綺麗だと思ったのです。
きっとエネルギーがいることだから綺麗であるのだと思うのですが、かっこいいと思いました。こうありたいと思いました。
そして、努力を必要とする優しさをくれたお姉さんには幸せであってほしいと思いました。
散々幸せになってほしいと書いてきてはみたものの幸せが何なのかはさっぱりわかりません。わからないので、せめて衣食住が充足していてほしい。それがあれば最低限、人は幸せになれるし、人に優しくなれる。少なくとも、きっと、あの二人のお姉さんならそうだと思う。
おしまい