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徒然ラボ

くだらないことがおもしろい 好きなんだからしかたない

音感と脳内再生

こんばんは、アダです。

スマホで書くからサラサラ書けます。

思考も滑らかにいくので、机の前で真面目に書いてる時じゃ書けないようなことまで、書ける。

 

今回の話題は、音感。

 

つい最近まで僕は自分は音感ゼロ人間だと思って生きてきたんですが、ネットの音感テストやらを受けてみると絶対音感とまではいかずとも、結構音感を持っていて、相対音感でいえばかなり持っていました。

そんな音感を持っていたのにどうして音感がないと思ってきたのか。

 

それが面白いなと思って考えて見たところ、思いついた原因は歌唱でした。

つまりは音が分かっていても、その通りの音が出せるわけではないということ。いわゆる音痴。

僕は男ですが、小さい頃は超ハイトーンボイスで、自分でも御しきれないレベルのソプラノでした。今でこそ、高めの声をコントロールできるようになってきましたが、自分の得意不得意がわかり始める子どもの自分に、声を自在に操ることができなければ自分で自分を音痴だと思うようになるのは当然で、まして親なんかもそういえばそうに違いないです。

 

自分は音痴だと思うことは往々にして自分には音感がないという結論を導き出します。

よく考えてみれば、少なくとも

音程わからない、かつ声のコントロールできない

音程わからない、けど声のコントロールできる

音程わかる、でも声のコントロールできない

の3パターンの音痴がいるはずにもかかわらず、音痴といえば1番最初のパターンだと思いがちです。少なくとも僕はそう思ってました。固定観念って面白い。

 

そんな早とちりから自分には音感がないと思って暮らしてきたのに、実は音感があったという棚ぼた的事件があったのですが、こうなると気になるのがなんで音感があるのか。小学校の頃からピアノの音はなんとなく別々に覚えていたので、君が代の最初の音がレであることも分かっていたりしたんですが、そんなことを思い出しているとルーツもはっきりしてきました。

いわゆる脳内再生ってやつです。

それの再現度がすごく高いのが多分、原因。

 

話し出すのが遅かった幼年期が影響してか、昔から音を聞くのが好きで、人の声を聞くのも大好きでした。

聞くのが好きが発展していくと、頭の中で音を反芻する遊びができてきて、そのうち人の声で好きなセリフを話させるようになりました。特に好きな子の声を思い出したりするにとどまらず、自分を呼ぶ声や、教室で交わした会話の一幕、その他妄想のセリフなど脳内で再生させるなどという気持ち悪くも甘酸っぱい思い出はそのスキルをかなり高めました。今となっては知っている人の声であれば頭の中ですごいはっきり再現できます。

その脳内再生を使えばピアノの音が何の音か判断することはできて、つまり君が代の最初の音がレだと知っていればその音を再生して、鳴っているピアノの音と照らし合わせてみればいいわけです。音の名前さえ知っていれば、それを全部頭の中で再生して照らし合わせればピアノの音程に関しては大体答えることができます。

きっとこれが僕の半端な絶対音感の原理で、原理からしてピアノの音でしか使えない音感です。自然音をドレミで答えることはできません。例えばそんな場合、aさんのいびきの音とあの畑のカエルの鳴き声がよく似ているなんて言い方になると思います。分析してみると本当によく似てるんじゃないかな。

 

絶対音感というと僕に言わせれば超能力的なもので、街を走る車がドレミの音を立てて走り去っていくなんてことは想像もできませんが、いざ自分の半端な音感を分析すると音感の原理も色々あって面白いなとおもいます。僕のは脳内再生との照合でできた音感。音痴のメカニズム同様、その成り立ちはたくさんある(かも)。ややこしいけどほんと面白い。

 

こんな風に音感について考えてみましたが、つまり言いたかったことは、僕はかなりリアルに人の声を脳内再生できるってことです。要するに好きなセリフをガッキーの声で頭の中に響かせられるってこと。我ながら恐ろしいスキルを持ってしまっているとおもいますが、素晴らしい。いいでしょ。

虚しい声ではありますが、音感を巡って見出した自分の能力、日々の癒し楽しみとして活かしていかないてはないなとおもいつつ、今日はここでおしまいにします。

さようなら。